劉洪
『西遊記』において唯一の「凡人の水賊」として登場する悪役であり、十八年もの間、陳光蕊に成り代わって江州刺史の座を騙り続けた男だ。
洪江の渡し場、深夜。新科状元の陳光蕊は、妻の殷温嬌を連れて江州の任地へと向かっていた。途中で川を渡る必要があった。船頭は劉洪という名の水賊だった。彼と同 accomplice の李彪は、世間知らずな書生とその若く美しい妻を、とうに標的にしていた。川面には月光もなく、あたりは静まり返っていた。劉洪は陳光蕊の隙を突き、彼を打ち殺して死体を川に投げ捨てた。そして状元の官服を身にまとい、殷温嬌を連れて江州へと赴任した。一人の殺人犯が、ある日から状元の身分を乗っ取り、その妻と官位を独占した。そしてこのペテンは、実に十八年もの間、維持されることになる。このエピソードは三蔵法師の身に降りかかった悲劇の中核であり、『西遊記』という物語の中で最も「世俗的な犯罪小説」に近い場面だ。妖法も、神通力も、天兵天将も出てこない。ただ、ある凡人が別の凡人を殺し、名を騙り、所有したという、剥き出しの事件があるだけだ。
洪江渡し場の殺人事件:三蔵法師の身世の悲劇
第9回(一部の版では付録)に、この殺害事件が詳しく記されている。陳光蕊は状元に合格した後、江州刺史の職を授けられた。彼は身重の妻、殷温嬌を連れて長安を出発し、洪江の渡し場に差し掛かったところで船を雇った。劉洪と李彪はこのあたりの慣れた盗賊で、渡し場に罠を張り、舟を出すふりをして人を殺め、財を奪うことを生業としていた。
呉承恩はこの殺人を非常に抑制的に描いている。血なまぐさいディテールを並べるのではなく、極めて簡潔な筆致で過程を説明する。夜が深まった頃、劉洪と李彪が手を組み、陳光蕊を打ち殺して死体を川へ突き落とした。だが、この抑制こそが逆に恐怖を増幅させる。渡し場、夜の闇、見知らぬ船頭、そして村も店もない旅路。あらゆる要素が、人間が抱く最も原始的な不安へと向かわせる。つまり、自分の命を見知らぬ者に預け、そしてその見知らぬ者が自分の命を欲しているという不安だ。
この急変の中で、殷温嬌が置かれた状況は絶望的だった。夫が殺されるのを目の前で見ながら、彼女は身重で、抗う力など全くなかった。劉洪は彼女を脅した。従わなければ、お前も一緒に殺すと。殷温嬌は腹の中の子――後の三蔵法師――を守るため、屈服することを余儀なくされた。この選択は、物語の中で最も重い倫理的なジレンマである。「夫に殉じて節操を守るか」、それとも「子のために生き延びるか」。彼女は後者を選んだ。呉承恩はこの選択に対して何ら道徳的な判断を下していないが、後世の読者や評論家たちは、この点について絶えず議論を戦わせてきた。
子が生まれた後、殷温嬌は劉洪が陳光蕊の血を引く子を容赦しないだろうと悟った。彼女は赤ん坊を一枚の木の板に乗せ、指を噛み切って血で手紙を書き、赤ん坊と共に川へ流した。これが「江流児」――三蔵法師の乳名――の由来である。赤ん坊は流れに乗って金山寺まで辿り着き、寺の長老である法明に拾い上げられた。十八年後、成人した玄奘(三蔵法師)は自らの身世を知り、故郷に戻って母を訪ね、官府に訴えて冤罪を晴らしたことで、ようやく長く封印されていた血塗られた事件の幕が上がった。
十八年のなりすまし:全書で最長のペテン
劉洪のなりすましは、全編を通して最も長く続いたペテンである。十八年。この歳月は、赤ん坊が成人するのに十分な時間だ。この十八年間、劉洪は陳光蕊の官服を着て、江州刺史の椅子に座り、陳光蕊の屋敷に住み、陳光蕊の妻と同じ屋根の下で暮らした。
論理的に考えれば、これはおよそ不可能な話だ。水賊が状元出身の刺史に成り代わって、誰にも見破られないなどということがあり得るだろうか。陳光蕊の同僚や上司、部下の中に、彼本人を知る者は一人もいなかったのか。殷温嬌の実家――彼女は殷丞相の娘だ――との間で、十八年間にわたって一度も手紙のやり取りがなかったというのか。呉承恩はこうした矛盾についてほとんど触れていない。『西遊記』の叙事論理において、劉洪のなりすましは一種の「物語上の前提」のようなものだ。それが成立して初めて、読者はその後の三蔵法師の身世の謎や、母を捜し復讐を果たすという屈折したプロセスを目にすることができる。「どうしてそんなことが可能なのか」と問う必要はない。ただ「そういうことが起きた」と受け入れればいい。
だが、人物の心理という視点から見れば、十八年ものなりすまし生活は、劉洪にとっても決して楽なものではなかったはずだ。彼は毎日、自分ではない誰かを演じなければならなかった。公文書を処理し、上司に会い、あらゆる社交の場をこなす。水賊出身の男が刺史としての体面を維持し続ける。その緊張感と偽装の苦労は想像に難くない。さらに、殷温嬌という存在は、彼の頭上に吊るされた刃のようなものだった。彼女はすべての真実を知っており、いつでも裏切る可能性がある。劉洪が十八年も彼女を抑え込めたのは、単なる武力による脅迫だけでなく、ある種の持続的な心理的コントロールがあったからに違いない。
呉承恩は劉洪という人物に、極めて世俗的な「悪」を投影した。取経の道中で出会う妖怪たちが悪事を働くときには、超自然的な理由がある。三蔵法師の肉を食べれば不老不死になれるとか、仏宝があれば修行が進むとか、天界の神仙の乗り物が下界に降りてきた因果があるとか。しかし、劉洪の動機は完全に人間的なものだ。金への欲、色欲、権力欲。人を殺したのは金と女のためであり、なりすましたのは権力と享楽のためだ。彼には「仙人になる」といった大義名分など必要ない。彼の悪は純粋で、世俗的で、現実のそれに最も近い。
心を抉り江に捧ぐ:三蔵法師の実父の冤罪晴らし
十八年後、金山寺で育った三蔵法師は自らの身世を知る。彼は江州に戻り、母である殷温嬌を見つけ出した。殷温嬌は血書の内容を確認し、母子は再会を果たす。その後、殷温嬌は密かに父である殷丞相に手紙を送り、丞相は兵を派遣して江州で劉洪を捕らえた。
捕らえられた劉洪が辿った結末は、全書の中で最も凄惨な凡人の処刑である。原典の描写はこうだ。劉洪を縛り、かつて陳光蕊を殺害した場所である洪江の渡し場へと連行し、その場で腹を割り、心臓を抉り出した。そしてその心臓と肝臓を川辺に供え、陳光蕊の亡霊を慰めさせた。「生きたまま心臓を抉る」という刑罰は、明代の物語や劇において、極悪非道な者への罰としてよく登場する。呉承恩がこの方法で劉洪を処刑させたのは、読者の「善悪報い」という期待に応えるためであると同時に、「川に沈んだ冤魂」である陳光蕊へのけじめをつけたということだ。お前の心に刻まれた血の恨みを、誰かが代わりに晴らしてくれた、というわけだ。
さらに深い意味があるのは、処刑の場所だ。劉洪は洪江の渡し場で殺された。そこは彼が殺人を犯した起点であり、法に触れて終わる終点でもあった。十八年の逃亡が、完璧な円を描いたことになる。彼はここから出発して「刺史」となり、再びここに戻って心を抉られ、すべてが終わった。このような「因果の閉合」は『西遊記』の叙事構造によく見られるが、劉洪の物語においては特に強力に作用する。なぜなら、彼は妖怪ではなく、凡人だからだ。妖怪は打ち倒されても「元の場所へ魂が戻る」か「転生」できるが、凡人が心を抉られれば、それは本当の死を意味する。後路はなく、輪廻という緩衝材もない。
対照的に、陳光蕊の結末は神話的な色彩を帯びている。川に突き落とされた後、彼の死体は龍王に保護されていた。実は洪江の龍王は彼を知っていた(陳光蕊はかつて龍を放生したことがあった)。龍王は彼の遺体をそのまま保存し、冤罪が晴れる日を待っていた。劉洪が処刑された後、龍王は陳光蕊を「還魂」させ、復活させた。こうして一家は再会する。この結末は、物語の中で鮮やかな対比をなしている。殺した者は心を抉られて死に、二度と戻れない。殺された者は因果応報により、死から蘇る。凡人の悪は凡人の罰を受け、凡人の善は凡世を超えた報酬を得る。
劉洪の物語は、『西遊記』全体の中で独特な位置を占めている。それは三蔵法師が経典を取りに行く動機の「感情的な底色」となっている。三蔵法師はなぜ西天へ向かったのか。表面上は唐太宗に託され、仏祖の命を受けたからだが、深層にある個人的な動機は――彼は幼い頃から捨て子であり、生まれた瞬間から大難に遭い、父を殺され、母を辱められ、自らは木の板に乗って一夜中を漂流してようやく生き延びたという点にある。この身世のトラウマが、三蔵法師に「苦難」に対する天性の共感を与え、また「救済」への本能的な渇望を抱かせた。劉洪が作り出した苦難が、ある意味で三蔵法師という人格の底色を形作ったのである。