狐七大王
圧龍山圧龍洞に住む九尾の狐の精で、金角大王と銀角大王の義母にあたるが、孫悟空に法宝を奪われ、最後は猪八戒に打ち倒された。
第34回、金角大王は蓮花洞の中で、どうにもならず、ただただ焦っていた。孫悟空に紫金紅葫蘆を騙し取られ、手元に残った法宝はもう少ない。追い詰められた金角大王はある人物を思い出した。「俺にはまだ義理の母親がいる。圧龍山の圧龍洞に住んでいる彼女なら、太上老君の宝である幌金縄を持っているはずだ。急いで義母を呼び、幌金縄を持って戦いに加わってもらおう!」こうして小妖が命を受け、山を越え谷を越えて、その「義母」を迎えに行く。その義母とは、狐阿七大王――一体どれほどの年月をかけて修行したのか、正体は九尾の狐の精だった。知らせを受けた彼女は、二つ返事で幌金縄を懐に忍ばせ、出発した。彼女はまだ知らなかった。一度この道を歩めば、もう二度と戻れないことを。
金銀角の義母:妖怪界のリレーションシップ
平頂山蓮花洞の金角大王と銀角大王は、『西遊記』に登場する妖怪の中でも、とりわけ多くの法宝を持つコンビだ。彼らは五つの宝――紫金紅葫芦、羊脂玉浄瓶、七星剣、芭蕉扇、幌金縄――を所有しているが、それらはすべて太上老君から盗み出したものだ(厳密に言えば、老君の二人の童子が下界に降りる際にくすねたものである)。五つの法宝があれば、大抵の相手には十分だろう。だが、孫悟空のようなレベルの相手になると、法宝がいくらあっても足りない。なぜなら、悟空は定石通りには動かないからだ。彼は小妖に化けて潜入し、法宝を盗み出してしまう。
悟空に次々と法宝を騙し取られた金角大王は、外部の助けを求めることにした。その助けとは、遠方の妖怪の同盟者などではなく、「義母」という、擬似的な親族関係に基づいた社会的な繋がりだった。中国の伝統的な社会において、「義理の親」を結ぶことは非常に重要な社交戦略の一つだ。義父、義母、義理の息子、娘。こうした擬似的な親族関係は、血縁を超えて強固な利益同盟を築き上げる。妖怪の世界も、その点では例外ではない。
金銀角の兄弟が狐阿七大王を義母としたことには、どのような意味があるだろうか。原作の描写からすれば、少なくとも三つのことが言える。第一に、狐阿七大王はある程度の実力と地位を持っており、そうでなければ義母として仰ぐ価値がない。第二に、双方に互恵関係があること。金銀角はここぞという時に呼び出せる助っ人を得て、狐阿七大王は太上老君の門下に連なる二人の「義息子」を得た。第三に、この関係が実効的であること。金角が助けを請うた途端、狐阿七大王は法宝を携えてやってきた。拒否も、値切り交渉もなかった。
幌金縄が狐阿七大王の手元に預けられていたというディテールも興味深い。五つの法宝のうち四つは蓮花洞にあるが、幌金縄だけが外に置かれていた。これは「卵を一つの籠に盛るな」という戦略かもしれない。もし蓮花洞に何かあっても、少なくとも一つは外に法宝があり、逆転の一手として使える。そして、その切り札を誰に預けるか。当然、最も信頼できる人物――義母である。金銀角が狐阿七大王を相当に信頼していたことがわかる。
狐阿七大王の視点から見れば、義息子のために法宝を預かることは義務であり、同時に名誉でもあった。彼女は圧龍山の圧龍洞に住み、自分なりに一地方の主として君臨していたが、その実力は金銀角兄弟に比べれば遠く及ばない。法宝を預かり、危急の際に助太刀に出向くことは、義母としての情を尽くすことであり、同時にこの関係性を維持するための作法でもある。妖怪世界の社交ロジックは、人間界と何ら変わりない。お前が俺を助ければ、俺もお前を助ける。顔を立ててもらえば、こちらも面子を保たせる。
九尾の狐の没落:一撃で絶命
狐阿七大王は幌金縄を携えて出発した。圧龍山から平頂山へ向かう道中、特に何事もなかった。だが彼女は知らなかった。孫悟空が、捕らえた小妖の口から情報を引き出していたことを。金角大王が義母を呼び寄せたという情報を。
悟空のプランは至ってシンプルだった。道中で待ち伏せし、仕留める。彼は小妖の姿に化けて正面から駆け寄り、金角大王が義母を迎えに派遣した使いであるふりをした。狐阿七大王は疑わなかった。義息子の手下が自分を迎えに来るなど、至極当然のことだ。悟空は道中で、あっさりと幌金縄を騙し取った。
だが、法宝を奪うだけでは不十分だ。狐阿七大王が生きながら圧龍山に戻れば、いずれ幌金縄がすり替えられたことに気づき、再び邪魔をしに来るだろう。だから、完全に片付ける必要があった。悟空自身が手を下すのではなく、猪八戒を道端に潜ませておいた。
八戒の仕事は迅速だった。狐阿七大王が悟空の側を通り過ぎ、再び歩き出したその時、八戒が林から飛び出し、一撃を叩き込んだ。九歯の釘鍬――天河の神兵であり、重さ五千四十八斤。その一撃を受けた狐阿七大王は、悲鳴を上げる暇もなくその場で絶命し、正体を現した。九本の尾を持つ狐が、斑な毛色を晒して山道に横たわり、ぴくりとも動かなくなった。
中国の神話伝承において、九尾の狐は非常に重みのあるイメージだ。『山海経』から『封神演義』の妲己に至るまで、九尾の狐は強大な魅了の力と深い修行の成果を象徴している。九本の尾を持つまで修行した狐の精であれば、理論上は相当な法力を持っているはずだ。しかし、狐阿七大王は八戒の一撃にさえ耐えられなかった。これは、彼女が九尾まで至ったとはいえ、戦闘力は高くなかったことを意味している。彼女の修行は、戦闘よりも変化や生存に特化していたのだろう。これは九尾の狐の伝統的な立ち位置とも一致する。彼女たちは変化と魅了に長けてはいるが、格闘戦に強いわけではない。
狐阿七大王の死に方は、全編を通じても「情けない」部類に入る。彼女は取経団と正面からやり合ったこともなければ、いかなる法術や武芸を披露したわけでもない。ただ道中で待ち伏せされ、不意を突かれただけだ。無防備な旅人が、道端から飛び出してきた強盗に打たれて死ぬ。九尾の狐にとって、あまりに不名誉な最期と言わざるを得ない。
だが、物語の効率という点から見れば、この処理は合理的だ。第34回の重心は、悟空と金銀角による法宝争奪戦であり、狐阿七大王はこのゲームにおける外周の駒に過ぎない。彼女に華々しいバトルを用意すれば、主役を食い、物語のテンポを乱してしまう。だからこそ、呉承恩は彼女を素早く登場させ、素早く退場させた。登場したのは幌金縄という法宝を導き出すためであり、退場したのは悟空が金銀角の外部支援を断ったことを示すためだ。彼女は純粋に機能的なキャラクターであり、その機能を果たせば、退場していい存在だった。
「義母」文化:妖怪世界の社会構造
狐阿七大王の存在は、『西遊記』の妖怪世界における重要な側面を明らかにしている。妖怪たちは孤立した個ではなく、複雑な社会関係のネットワークに組み込まれているということだ。金銀角兄弟には義母がおり、牛魔王には義兄弟がおり、紅孩児には六人の健将がいる。名のある妖怪の背後には、必ず社交圏が存在する。
妖怪世界における「義理の親」を募る機能は、人間界と同じだ。リソースを広げ、安全を確保し、同盟を築くこと。金銀角が狐阿七大王を義母としたことは、圧龍山に拠点を得たことと同義であり、法宝を預けられる金庫を得たことであり、危急の際に呼び出せる援軍を得たことであった。また、狐阿七大王が強力な二人の義息子を得たことは、自分に保険をかけたことと同義だ。圧龍山の狐の精をいじめる者がいれば、平頂山蓮花洞の二人の面子を考えることになる。
残念ながら、この「保険」は本当の危機の前では無価値だった。孫悟空が襲来したとき、金角自身が手一杯で、義母の死活など気に掛けていられるはずもない。そして狐阿七大王は、遠路はるばる助太刀に駆けつけながら、義息子の顔さえ見ることなく道端で打たれて死んだ。彼女は死ぬまで、自分が一体誰のために死んだのかさえ分かっていなかった。
関連人物
登場回
Tribulations
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