第81回 鎮海寺の心猿、邪を知る——黑松林の妖精、聖僧を奪う
三蔵が鎮海禅林寺で病に臥す。夜、助けた女(鼠精)が悟空を誘惑しようとして撃退される。妖精は靴の替え身を残して三蔵を陷空山無底洞へ攫う。悟空が三頭六臂で森を打ち山神を呼び出して行方を聞き出す。師弟が南へ千里飛んで陷空山に着き八戒が洞へ下りる。
その夜、喇嘛たちが精進料理を用意し、師弟一行はようやく落ち着いて夕食を済ませた。三蔵は疲れから早々に横になり、弟子たちは各自の休み場所へ散った。
ところが夜中の子の刻を過ぎた頃、三蔵が急に寒気を覚えて目を覚ました。体の芯から冷えて、頭が痛く、四肢が重い。悟空が様子を見に来ると、師匠の額は熱く燃え、顔は青白かった。「師匠、どうなさいました」と問うと、三蔵が「どうも松林の中で冷気にやられたようじゃ。頭が割れるように痛い」と力ない声で言った。
夜明け、三蔵の熱はいっこうに下がらなかった。喇嘛の和尚たちが生姜と葱の汁を煎じて持ってきて飲ませると、少し楽になったが、それでも起き上がれない。三蔵が弱々しく「悟空よ、紙と筆を持ってきておくれ」と言った。悟空が「何を書くおつもりで」と問うと、三蔵が「大唐の太宗皇帝陛下へ手紙を書く。わしはもうこの先進めそうにない。陛下に報告して、この旅を断念することを知らせておかねば」と言った。
悟空が笑って「師匠、そんなことを仰いますな。たかが風邪でしょう。三五日も休めば治ります。西天はもうすぐです、ここで引き返すとはもったいない」と慰めた。三蔵が「お前はわからぬ。わしはこの歳まで修行を積んできたが、こんなに体が重くなったことはない。もう長くないかもしれぬ」と嘆いた。
悟空が「師匠、実はこれはわしが原因なのです」と言い出した。「昔むかし、仏祖が法を説かれていたとき、師匠は居眠りをなさった。その罰として、この地でしばらく病に臥すことが定められていたのです。三日もすれば必ず癒えます。手紙など書かずともよろしい」と説明した。三蔵が「それは本当か」と目を開くと、悟空が「俺が嘘を言ったことがありますか」と胸を張った。三蔵はそれを聞いて少し安心し、目を閉じて休み始めた。
その夜、悟空は師匠の枕元を離れず守っていた。他の弟子たちはそれぞれ外の回廊で眠っていた。寺の仏殿はしんと静まりかえり、香の煙だけが細く立ち上っていた。
三更(深夜零時頃)を過ぎた頃、仏殿の外から微かな足音が聞こえた。悟空が目を凝らすと、あの松林で助けた女が廊下をこちらへ歩いてくる。月明かりに照らされた顔は昼間よりも妖しく色めき、歩くたびに裙がひらひらとなびいた。
女が仏殿に入ってきて、まず枕元の三蔵を見て「ご病気ですか」と低い声で言い、それから悟空の方へ近づいて「大聖、夜中にお一人で大変ですね。わたくしが一緒に夜を明かしましょうか」と艶めかしく囁いた。
悟空が「女人よ、ここは仏殿じゃ。戯れ言はよせ」と冷たく言い返すと、女がさらに一歩近づいて袖口を掴もうとした。悟空が如意棒を抜いて「化け物め、正体を現せ」と叱りつけると、女はさっと身を翻して後ろの庭園へ逃げ込んだ。
悟空が追いかけると、庭の暗がりの中で女が素早く妖の本性を現し、鋭い爪で攻撃してきた。悟空が棒を振るうと、女は一道の黒い気となって素早く逃げ去った。悟空が追いかけようとして仏殿へ戻ると——師匠の姿がない。
枕の上には女の靴が一足、ぽつんと置かれているだけだった。
「しまった」と悟空が大声を上げると、八戒と沙悟浄が飛び起きて駆けつけた。「師父を妖精に攫われた」と聞いて八戒が青ざめ、沙悟浄が「どこへ連れて行ったのか」と問うた。悟空が「あの女は松林に縛られていたときから妖気があった。わしが止めたのに師匠が連れてきたのがいけなかった」と歯ぎしりした。
三人は松明を持って寺の周囲を探したが、三蔵の姿はどこにもない。妖精が飛んで逃げたとしたら追いかけることもできない。悟空が「まず行方を突き止めねばならぬ」と言い、如意棒を三頭六臂の法に変じて構えた——三つの頭、六本の腕、それぞれに武器を持ち、天地を震わす気迫で松林を棒で叩き始めた。
轟音が山野に響き、鳥が一斉に飛び立ち、木の葉が雨のように落ちた。山神・土地・社令・五方揭諦たちが驚いて飛び出してきて、悟空の前に平伏した。「大聖、何事でございますか」と問うと、悟空が「師匠がここから攫われた。どこへ連れて行かれたか知っているか」と問い質した。
山の神々が顔を見合わせて「この寺の南、千里ほど行ったところに陷空山(かんくうざん)という山があり、そこに無底洞(むていどう)という洞窟があります。洞の主は鼠精(ねずみの妖怪)と聞いております。松林で縛られていた女人は、恐らくその洞の主ではないかと」と申し上げた。
悟空が「千里か」と言うや、三頭六臂の法を解いて「急げ」と八戒と沙悟浄を呼んだ。三人は筋斗に乗って南へと風のように飛んだ。
しばらく飛ぶと、荒れた山が見えてきた。岩は黒く、峰は鋭く、樹木もまばらで陰気な気が漂っている。山の入り口に朱塗りの牌楼(ぱいろう)が立っており、「陷空山無底洞」の五文字が刻まれていた。
洞の入り口は大きな岩の割れ目で、中から冷たい風が吹き出していた。悟空が覗き込むと真っ暗で、底が見えない。「深さ三百里ともいわれる無底洞か」と悟空が呟いた。
八戒が「師兄、ここはわしが得意だ。土の中や暗いところは昔から平気だから」と言い出した。悟空が「よし、では八戒が先に下りて様子を探ってこい。師匠がどこにいるか、敵の数はどれくらいか、確かめてきておくれ」と命じた。
八戒が「わかった」と返事をして、嘴を縮めて頭を低くし、穴の縁から一歩踏み出した。
黒松の林に邪気満ち、靴一足が聖僧の代わり——千里の南に洞あり、無底の深みに妖怪潜む。