西遊記百科
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第43回 黒水河の妖孽、僧を擒う——西洋龍子、鼍を捉う

師弟四人が旅を続けるうち黒水河に差し掛かる。渡し守に化けた鼍龍が船で三蔵と八戒を水中に引き込む。沙悟浄が水に潜って戦うが勝てず。悟空が西海龍王を訪ねて甥の鼍龍を正し、龍太子・摩昂が鼍龍を捕縛して師匠と八戒を解放する。黒水河神が水を割いて一行を渡す。

孫悟空 猪八戒 三蔵法師 沙悟浄 黒水河 鼍龍 摩昂 西海龍王 衡阳峪

号山を後にした師弟四人は鞍に乗り、灵山を目指して西へ進んだ。一月あまり歩いたある日、前方から水の音が轟いてきた。

三蔵が馬の上で「また水の音がする。何だろう」と声をあげると、悟空は「師匠はつくづく疑い深い。《多心経》にある『眼耳鼻舌身意なし』の教えをお忘れか。出家者は目で色を追わず、耳で声を追わず——六根を鎮めることができれば西天への道は開けます」と諭した。

三蔵は黙って考え込み、やがて詩を詠んだ。

当年、聖君を別れてより昼夜奔走す。 芒鞋は山頭の霧を踏み破り、竹笠は嶺の雲を突き開く。 夜静かに猿の鳴く声は嘆かわしく、月明に鳥の騒ぐ声は忍びがたし。 いつになれば三三の修行満ちて、如来の妙法の文を得るか。

悟空は「師匠が故郷を恋しがっているだけだ。功到自然成——続ければ必ず成る」と笑った。

そうして一行は足を止めずに歩き続けた。やがて目の前に一筋の黒い大河が現れた。

層々たる濃い波が翻り、重々たる混浊の波が巻く。 近くから見ても人の影を映さず、遠くからは木の形も判らない。 滚々と墨が地を埋め、滔々と灰が千里を流れる。 水の泡は積み炭のごとく、波の花は炭塵のごとく翻る。

三蔵が馬を降りて「この川はなぜこれほど真っ黒なのか」と問うと、八戒は「誰かが藍染めの甕を倒したのでしょう」と言い、沙悟浄は「硯を洗っているのでは」と言った。悟空は「余計なことを言うな。師匠を渡す方法を考えろ」と一喝した。

川幅は十里ほど。悟空と沙悟浄なら雲に乗ってすぐ渡れるが、三蔵は人間だ。そのとき上流から小船が一艘漕ぎ寄せてきた。

舟の男に「渡してくれ」と頼むと、男は「渡し船ではない」と言いながらも岸に近づいた。船は木を刻んだ小さな独木舟で、二人しか乗れない。

八戒が「では俺が師匠を先に連れていく。悟空と沙悟浄は行李と馬を見ていろ」と言い、三蔵を舟に乗せて漕ぎ出した。川の中ほどまで来たとき突然、轟音とともに黒い波が天を覆った。

当空、炮雲が一片起こり、中流、千層の黒波が高まる。 両岸の飛砂が日の色を蔽い、四辺の木が天を揺るがして倒れる。

この嵐は渡し守の妖怪が起こしたものだった。船もろとも三蔵と八戒が水中へと消えた。

悟空と沙悟浄は岸に残されて呆然とした。「あの舟の男が怪しかった。妖怪が師匠を引き込んだのだ」と悟空が言うと、沙悟浄は「では俺が水に潜って探す」と衣を脱いで降魔宝杖を構えた。

「この水の色は正常ではない。大丈夫か」と悟空が心配すると「俺の流沙河よりはましだ」と沙悟浄は飛び込んだ。

水中を歩くと「衡阳峪黒水河神府」と書かれた亭台の門が見えた。中では妖怪が「今日こそ長年待った獲物を手に入れた。あの和尚は十世修行の元体——一口食えば長寿になれる。鉄の籠で蒸して舅爺に贈ってやろう」と話していた。

沙悟浄は怒りを抑えきれず降魔杖で門を打ち破り、叫んだ。「唐僧師父と八戒師兄を返せ!」

妖怪が出てきた——

方顔に圓い目、霞の光が輝く。 捲いた唇に巨口、血の盆のように赤い。 鉄の線のような疎な顎髭、両鬓に朱砂色の乱れ髪。 鉄甲を纏い、金の兜に宝石が嵌まる。 竹節の鋼鞭を手に持ち、步む時は狂風を曳く。 元は水中の物、変化をなす凶悪の身。

妖怪は竹節の鋼鞭を手に出てきて、沙悟浄と水底で激しく戦った。三十合戦っても勝負がつかず、沙悟浄は「引き上げて兄さんに打たせよう」と佯けた敗走をしたが、妖怪は追わず「客に案内の書を送らねば」と洞に引き返した。

沙悟浄が岸に戻ると悟空に経緯を話した。「あの妖怪は鼍龍に似ていた。舅爺に暖寿の料理として師匠を蒸して招待すると言っていた」

すると水辺から老人が現れて跪いた。「大聖よ、私はこの河の真の河神です。昨年あの妖怪が西洋海から乗り込んできて私の神府を奪い、水族を傷つけました。西海龍王に訴えたところ、妖怪はその龍王の甥御でして、訴えを退けられました。大聖のお力をお借りしたく」

悟空は「それなら西海龍王にも責任がある」と言い、沙悟浄と河神に馬と行李を任せて西洋大海へ飛んだ。


西洋大海の水晶宮に向かって海中を泳いでいると、黒魚の精が金漆の文箱を抱えて上流から矢のように泳いできた。悟空は棒で一撃して倒し、文箱を開いた。中には帖がある——

「愚甥の鼍洁が謹んで二舅爺・敖老大人へ上申します。今日、東土の僧人二名を捕らえました。世間稀なる珍品です。舅爺のご誕生日に合わせ、粗末な宴席を設けてお慶び申し上げたく、どうぞお越しください」

「証拠状が先に届いた」と悟空は懐に帖を収め、先へ進んだ。

西洋龍王・敖順は出迎えて「大聖、いかなるご用で」と問うた。悟空は帖を取り出すと敖順は顔色を失い膝をついた。「あれは舎妹(泾河龍王の妻、今は亡き)の九番目の息子です。父なき後、この海で養育しておりましたが、黒水河で修業させていたところこのような——すぐに捕らえさせます」

悟空は「龍王の舎妹のご子息は皆どこに」と問うと、敖順は「第一の小黄龍は淮渎に、第二の小骊龍は济渎に……第八の蜃龍は太岳に。この第九の鼍龍だけが年若く未配属で黒水河に修業中でした」と答えた。

敖順は太子・摩昂を呼んで「虾魚の兵五百を率い、鼍龍を捕まえよ」と命じた。悟空は茶を一杯だけいただくと龍太子と海兵を率いて黒水河へ戻った。

摩昂が水府に戻ると、鼍龍は「表兄がなぜ兵を連れて」と出てきた。摩昂が「お前は唐僧が誰の師匠か知らないのか。孫悟空の師父だ」と諭すと、鼍龍は「猴子が怖くて兵など持ち出せるか」と怒って鞭を取った。

二人は激しく戦った。摩昂は三棱簡で隙を作り鼍龍が踏み込んだ瞬間、腕を一撃して転倒させ、海兵が一斉に飛びかかって縛り上げた。

悟空の前に引き据えられると「師匠を何処に」と問い、鼍龍が「水府の中に」と答えると、沙悟浄が跳び込んで水府の奥に踏み込んだ。亭台の中に三蔵と八戒が素裸で縛られていた。二人を背負って岸に出ると、三蔵は水から出た喜びに言葉もなかった。

八戒は捕まった鼍龍を見るや鉄鈀を振り上げて「この野郎め、今度は俺が食えるか」と迫ったが、悟空が「摩昂殿の面目もある。死罪は許してやれ」と止めた。

摩昂は鼍龍を押さえながら「大聖よ、家父の前で裁きを受けさせます。ご助力に深く感謝します」と礼を言い、海兵を率いて西洋大海へ引き上げた。

黒水河神が悟空に礼を言い、「師父のお渡しは」と三蔵が問うと、河神は阻水の法術で上流を塞ぎ下流の水を引き、川底に一本の道を開いた。師弟四人は馬とともにその道を渡り、西の岸に上がった。

禅僧に救いあり、西域へ朝す。地を徹して波なく、黒河を過ぐ。